2017年12月18日月曜日

普天間第二小学校に行ってきました・・・


沖縄に行ってきました。

娘夫婦と孫達そして息子の所属しているAwesome City Club のライブを見に。


ライブはヤングオオハラという若いがボーカルの歌唱力がしっかりしたバンドとの対バン。

お客さんも双方とも凄く盛り上がって最後のアンコールには「イーヤーサーサー!!」コールがこだまする沖縄らしいライブでした。

すみません・・・今回のブログ、ライブ紹介は超簡単に・・


今回もう一つ沖縄で見たいものがあって。
それは小学校2年生の孫娘が通う  ・・・あの

普天間第二小学校

でした。
普天間第二小学校です


あの・・


という意味はもう皆さんご存知ですね。

自宅から歩いて15分ぐらいでしょうか。

この小学校はかねてから米軍基地に隣接しているため、

米軍機は小学校の上空を飛行しないとの約束でした!!



ところが現実には輸送機・オスプレイ・ヘリなどありとあらゆるものが飛行しているようです。


ついに12月13日、ヘリの窓枠が運動場に落下しました!!


ネットでニュースに確認し、すぐさま娘にメールをしました。

急いで保護者は昼から生徒たちを迎えにいかなければならないようでした。

幸いにも、偶然にも、軽症の生徒が1人で済んだようで

直接落下物に接触する生徒はいなかったのが本当に奇跡としか言いようがありません。


孫娘の話によれば事件は大休憩の10分前に起きたので、

もし10分遅れていたなら運動場は子供たちで溢れかえっていたのです。

その事件直後には思わず涙を流す先生もいたようです。

多くのマスコミが学校に押し寄せて、登下校する子どもたちにインタビューすることもよくあるそうです。

しかし孫娘の話では、学校側からインタビューには答えないようにと指導がされているようです。


この間ネットの情報などを見ていると


「なんでそんな危険な所に小学校作ったんだ」

「そんなに危険ならば移転すれば良い。なぜ移転しないんだ」

というような意見もありました。


あれあれ??ちょっと待って!!


危険にしたのは誰なんですか?



私たちが今考えそうな事はもう50年もの間







普天間第二小学校は父母も子どもたちも含めて、安全な小学校になるために歴史的にずいぶん苦労を重ね、そして考え、訴え続けているのです。

しかしそこには米軍という巨大な壁と、一方では国の政治姿勢も地域の情勢も深く絡み合っているのです。

政治に翻弄される「沖縄」の縮図がこの小学校の歴史でもあるのです。


少々長く難しくなりますが参考になる文献がここにあります。
    ↑↑  ↑
 

そして現地に行ってみて驚いたのは、小学校だけが注目されていますが、それこそ軒が突きあうようなところに幼稚園がありました!


万が一ここにヘリや飛行機が落ちた場合、小学校のみならず幼稚園も巻き込まれてしまうことを初めて知りました。






これは私が撮った運動場の写真です。

テレビの映像や写真では向こう側にあるフェンスまでずいぶん距離があるように写っています。

しかし正直、目測では100メートル位しかありません。

思ったよりも小さいグラウンドでした。


大休憩でここが子どもたちでいっぱいになる、そこに落下物が…

そう考えるとなんだか胸が張り裂けそうになります。


向こうのフェンスからあっちは米軍基地です・・・

運動場です。思ったより狭いです・・






ネギの栽培ですね

学校では玄関横で魚、亀を飼い、小さなお花を育てています。

面白いことに植木鉢でネギを育てています。

これはなんでも伝統だそうです。


ネギが苦手だった孫娘も、自分でネギを育てることでしっかり食べることができるようになりました。


この日は幸いにも米軍機と遭遇する事はありませんでした。

本来学校ってこうあるべきですよね。


沖縄の事は学ばなければいけないことはたくさんあります。


政治問題、経済問題、環境問題などなど。


それぞれ立場や考えの違いもあるでしょう。


でもどんな理由があっても、

子どもたちの命を危険にさらすようなことを絶対しないこと!!


これは大原則ではないでしょうか。

とりあえず「小学校の上を飛ばない」ことぐらい直ぐに出来ることですよね。

政治の判断もいらないでしょう・・・約束なんですから


もう一度この原点に帰って物事の仕組みを考えてみる責任が「日本」の大人にはあると思います。

とりわけ国の政治のトップに立つ方々は事実と向き合いしっかり対応して頂きたいものです。


2017年12月5日火曜日

味園ユ二バース!!!

ブログの更新もやっぱり久しぶりです。


11月の出来事と言えばメインはAwesome City Club の味園ユニバースでのライブ参加でしょうかね。





少し早めに行って味園ユニバースのスタッフさんからメンバーの皆さんへ差し入れをお願いしました。

あんまり目立たないようにお願いしたのですが・・・

「どちら様からでしょう??」

小さな声で「ア・タ・・ギからです・・」

というと


聞こえたのか物販買い物中の何人かが振り返って・・・


「ソックリや!」

ていうかマスクしてるのに・・・なんとも・・・


その時5時ぐらいだったので開場6時までずいぶん時間がありまして。


どっかで一杯引っ掛けてやろうと思ってお店を物色していたところ、ちょうどユニバースのすぐそばで立ち飲み屋を発見。


お店のスペースは奥行き5メートル位、しかもカウンターにへばりつくように立つと後にスペースがないという店幅2メートル位。


それでもカウンターのお姉さんは1人でがんばっています。


透き通ったお出汁のおいしいおでんをいただきながらお勧めの日本酒!


たまりまへんなぁ!


至福や至福!


そんでもって時間をつぶし、いよいよユニバースの前に1人で並んでおりますと突然お声掛け頂きました。


以前からTwitterで相互フォローしていただいた女性です。


今日は素敵な娘さんと2人でライブ参戦のご様子です(もちろんお母さんも素敵ですよ)。


おかげで入場までの待ち時間もずいぶんワイワイと盛り上がり楽しい時間になりました。


聞けばお2人もやっぱり同じようにちょっと一杯やってたそうです。


それでテンション高いんですよね。


私は味園ユニバース初めてだったので、入場の途端その照明や天井のデザイン、ステージのネオンサインのような鮮やかな照明にびっくり!





ステージにかぶりつきのあたりにはスタンディングに備えてスチールパイプで数百人規模のフロアが仕切られているのです。


でも後ろ側には以前大型キャバレーだった時に使っていたであろう半円形の豪華なソファーがいまだに数台置かれています。



ちょうどステージの真正面の後方ソファーに例の母娘さんが既に陣取っていて、「こっちおいでよ!!」と誘ってくれました。


例のごとく待ち時間にテンション高く盛り上がっているとだんだんと会場が混み合ってきました。


ソファーの空きを探す人々も増えはじめました。


偶然前を通りかかった2人のお嬢さん(友達同士)が同席することになりました。


この2人が大変かわいいのですがまたテンション高い!


結局そのソファーだけが何やら酔っ払いの集まりみたいに
(^-^;


そうこうするうちにAwesome City Club メンバー登場!


幸いそのソファーの後にはエンジニアの席があるだけなので立ち上がれば前の人たちの頭越しにステージがちゃんと見えます。


とうとう2時間ちかくそのメンバーは立ちっぱなし。


正直足元は柔らかいので足首に変な負担が来ましたね。


さてアンコールが終わりライブも終了。


いよいよ会場を後にし、宿泊先が目の前になった時携帯が鳴る。


Awesome ギタボatagiから。


「今どこにいてるん?・・・・・」


たまたまポリンちゃんのお母さんもライブに参戦してたとのことで、ライブ会場にまだいるのならちょっとご挨拶でもとお話ししてくださったようです。


ア~ア〜残念!


急いで戻っても間に合わない距離になっていました。


以前ポリンちゃんのご両親とは渋谷のライブ会場でご一緒させていただいたことがあります。


皆様ご想像の通り・・・


たいそうな美男美女でございますよ!


でもライブっていろんな出会いがあって楽しいですよね。


自分的には今年は12月の沖縄アウトプットがAwesome City Club 最後のライブです。


沖縄でも楽しい出会いがあるといいな。



2017年10月26日木曜日

ブログサボってました!近況です!

ブログの更新をずいぶんサボっておりました。

お知らせした通り親父は退院した後もケアハウスでマイペースな生活をしております。

おかげさまで通院は月一回程度に落ち着いています。

今日も通院して、お医者さんから「ケアハウスには女性が多くて楽しいでしょう?」

と問いかけられると

「女性は多いけど昔の美人ばっかりやあ、アハハ」

と笑っておりました。


小さな多発性脳梗塞を発症する前は、それはそれは細かいことにうるさいワンマンオヤジで、正直あんまり好きになれませんでした。

ところが「ちょうどいい位に」認知症が進んでいて、人当たりも随分良くなりました。

何とか自分のことは自分でできるし、会話も普通にできるような印象を与えます。

この調子でボチボチといってくれたらなぁと思います。

私たちにとってのこの間の最大のイベントは、なんといっても亡き母親の初盆でした。

何しろ実家を出てからほぼ40年、地元の行事やお祭りごとなどには全く関わっていないので何をどうして良いのやら。

お寺さんとのやりとりや、お盆の祭壇の飾り付け、どういうお料理を供えるか等々

ご近所の方々には本当にお世話になりました。

というかご近所の方のお名前も実際忘れていたので大変でした。


車で帰っていると、皆さんが顔出してくださって

「これはこうして」「あれはあのように」と

手取り足取り教えてくれました。


最後にはちょっとした1メートルぐらいの船に飾り付けをして御霊を乗せて川に流す=あの世にお帰りいただくという儀式をこの辺ではやります。


夕方になったら鐘を叩きながら船とお盆の飾り付けを持って川に行きます。

そして船に松明をともして川に流すのです。


昔はほんとに流しましたが、今は環境保全の関係ですぐ回収します。

お盆の飾り付けはすべて河原で焼いてしまいます。

もちろん次の日には焼けカスやゴミを回収に行くのですが。


集落からは初盆のお宅が先頭を切ります。

その後でそれぞれのご家庭が川にやってきて同じように御霊をお送りするのです。


何せ両親には子供は私だけですからとにかく人手不足は甚だしいです。

そのために集落の皆さん総出でお手伝いしていただきました。

幼い頃にはただ漠然と眺めていた光景が、今度は自分が親を送る側になってなんだかすごく感慨深いものがありました。


こうやって何世代も人間は、人の世はつながってきたのだろうと思いました。


船を押して川に入ったのですが、川の水はずいぶん透き通っていて、その冷たさは幼い頃泳いだ川の冷たさそのもので、

すーっと時が遡るような気がしました。


とにかくお盆の三日間を終えた後の開放感。とにかくほっとしました。


しかし相変わらずしなければならないのが様々な後片付け。


両親が「いつか使える」と残してくれた決して使うことのない「ゴミの山」。

これまでずっと片付け続けてきましたが、いよいよ最後の難関が迫っています。

大量に残された布団!

捨てられなく置いている冷蔵庫複数!

電化製品も壊れてはなぜか保管!

大きな漬物樽複数(入ったままの!開けるのコワい!)

その他諸々


ぞっとします!





ゴミ捨てを業者さんに依頼するとこれ本当に相当な金額になります。

どれだけ自力でやれるか

これからいよいよその正念場です!




もうそろそろ秋も終わりですね

2017年6月25日日曜日

親父 退院する///


前回のブログで親父が救急搬送されたところまではご報告申し上げました。

ポーンと間をすっ飛ばして、

お陰様で6月24日退院となりました。


さてこの間の経過を少々。

5月26日救急搬送された病院では数人の医師が対応してくれました。

本当に一生懸命対応してくれました。

名前や生年月日には返答しますが高熱のためかその他の反応はいまひとつ。

外来でCT等の検査を行い入院。

家での状態を聞かれますが、一人暮らしであったため日常のことが私たちにもよくつかめておりません。

そこで、状態が悪くなったときの親父の様子をiPhoneでビデオにしてたのでそれを見てもらいました。

2人の医師が食い入るように画面を見ています。

短い数本のビデオを見てもらいました。

やはり百聞は一見にしかず。

いくらかの参考にはなったと思います。

これは介護の最中の方やご家族の方にオススメかもしれません。

ここが変なんです・・・

とは医師に面とむかってなかなか言葉にできないことが多いですものね。


夕方まで病院に詰めて、酸素吸入と点滴をする親父を残して一応帰宅しました。

だが夜9時位に病院から電話が。

「お父様にせん妄があるようで、点滴を抜いたり酸素マスクを外したりしています。今日はご家族の方が付き添ってください」

急遽病院に戻り宿泊体制。

しばらく横になっていると深夜になってゴソゴソと動き出し、酸素マスクや点滴を外そうとします。

その手を抑えたり擦ったりして気を散らそうと努力しますが、こんな時に老人とは言え相当な力です。

最後は力ずくで体を抑えなければなりません。

結局そういうことを三日間繰り返しました。

このままではこちらが参ってしまうので、主治医にお願いして眠剤を出してもらいました。

ベッドの足元には足を下ろせばナースセンターに知らせが入るマットも置いて対応。

しかしながらベッドから降りようとする試みや40度の熱は1週間続きます。

脳のラクナ梗塞のための点滴は開始していましたが、一方で高熱の原因を医師はいろいろ探します。


そこで1つの原因が浮上します。


それは・・・・・  





ダニ!!!


ダニによるリケッチア感染!

この地域では農業や林業が多く、おまけにシカ等の動物との接触の機会もあります。

つまるところ、ラクナ梗塞とリケッチア感染の同時進行ではないかということです。

それに対応する薬剤を投与し始めたところ熱も下がり始めました。

スプーンやコップをちゃんと握れなかった手が、少しずつ元の動きを取り戻しはじめました。

私たちにとっては、親父の入院中に母親の四十九日と納骨と、相当多忙な期間になってしまいました。

しかし入院2週間目あたりからはリハビリも開始。

立ち座りから歩行訓練まで順調に進みました。

もちろん以前のようにスタスタとはいきませんが・・・・

一方で認知症症状も現れ、記銘力の低下は進みました。

ただ今、その時々のやりとりは全く普通に行われています。


こんな冗談も。


理学療法士さんに「今日のお昼ご飯は全部食べましたか」と聞かれ


はい全部食べました!


と答える親父


「では完食ですね!」と理学療法士さん


すると親父


「いえ!主食です!」


わかりました?


とまあ、こういうやりとりもするのです。


もう一つ


入所する施設の代表者の女性が様子を見に来てくれました。

もちろん以前に何度も会っています。


「私のことを覚えてくれていますか?」

その顔をじっと見ていた親父が


「ワシはアンタみたいなべっぴんさんを1回見たら普通は忘れへんのやけどなぁ?」

こりゃ相当うまいボケでしょう!

見習いたい位です!


多発性ラクナ梗塞、リケッチア感染症直後の94歳ですよ!


ていうか、いい感じですよね。


そんなこんなで今日は新しい施設に引っ越しました。


普通退院と同時にケアハウス入所とはなかなかうまくいきませんが、すでに入院時から退院の時のために準備を進めていました。


施設内のご近所に挨拶回りをしましたところ・・・


「奥様にはお世話になりました」というご挨拶がいっぱい。


ていうか、親父の入る部屋はついこの前まで母親の入ってた部屋でございます。


そのフロアはみんな母親の知り合いでございまして、つまり妻の顔もみんな知っているわけです。


ところが親父はもうそんなことは頭に無いかのようで、

というかホントに無いのかも・・・


「ワシは何も知らんのでよろしくお願いします」

とかええ調子で頭を下げております。

耳が遠いことをいいことに、いつの間にか「お姉さん方」と非常に近いポジションで座ったりしております。


極めつけは夕食の時間に、ご近所のお姉さん方がお迎えに来て下さって、夕食に誘ってくれたのですが

「よろしゅう頼んます」

とか言って、手を引っ張っていただいていい調子でございます。


いや、これってある意味新鮮なんやろなあ。


読者の皆様には前半の記述で重苦しい雰囲気にさせてしまって申し訳ございません。

もう一つ付け加えさせていただきます。


入院中の主治医がいみじくもおっしゃってました。


「お父さんは、今までが凄すぎました。このお歳で農業と一人暮らしとか車運転するとか・・今が歳相応、これから年齢なりの生活になるのではないでしょうか」


そうだと思います、まさに。


だってあれほど執着した家に帰りたいとか言わんもんねぇ。


施設の利用料についても「お金いくらいるんや」と聞くので


「年金で十分やっていけるよ」


と答えると

「そうか!そりゃ良かったな、で、教えてくれ、その〜〜ネ ン キ ンってなんや?」


ですと。


ま、新たなる旅立ちですね。

2017年5月27日土曜日

今度は親父が!!!


その日昼までの仕事を終え、

明日からの沖縄への2泊3日の持ち物を整理していました。

一通りのチェックを終わった後、一人暮らしの親父のことも少し気になるので、

電話じゃなくて昼の時間にちょっと出かけて

「明日から三日間沖縄へ行ってくるから気をつけるように」

と言っておこうと思いました。

沖縄には娘夫婦も子供たちもいるし、ちょうど息子も参加するバンドAwesome City Club のワンマンライブもある。

沖縄で家族全員が揃うのもいいだろうという発想でした。

ライブの申し込みを3月に行い、チケットの整理番号も1番2番を当てていました。

正直ワクワク感ありました。

さて実家に到着、いつも親父が食事をする台所のドアを開けてもいません。

声をかけても返事もありません。

トイレにでも行ってるのかな?

そこで表に回って玄関を開けると.....


そこに親父が倒れていたのです!



転倒したのではなく、靴も揃えていたので座ってから倒れたような気配です。

慌てて声かけすると、表情が変わり

ア~~

とか言いながら起きようとし始めました。

体は少しずつ動くようで、会話もそれなりに成立します。

様子を見ながら対応していると、明らかに4日前に会った親父の様子とは変わっています。

手足も動き、会話もできる

しかしながら動作が途切れ途切れで、すぐに寝落ちするような感じ。

とにかくまず病院に連れて行こうと判断。

約30分かけて親父は自分で着替え、トイレにも行ったのです。

この間にこちらは午後のスケジュールを全部キャンセルです。

正直こちらはイライラしています。

既に病院にも時間外の受診の申し出をしています。

さ、いよいよ車に乗ろうとしたときに

「あ、ネコにエサやっとこかなぁ」

と親父

さすがにそれはお断りして車に放り込む。

病院では時間外担当の医師がCTやら血液検査をしてくれました。

そして親父もそれなりの受け答え。

脳の画像には昔起こったであろう細かな梗塞の痕跡がありました。

医師もいろいろ具体的に診察してくれましたが

結論から言えば、

現在は入院の適応まではいかないですねぇ

と言う話で、点滴をして帰宅となりました。


しかしなんとなく尋常じゃないことが起こりそうな気配



この時点で沖縄の計画のキャンセルを決意しスマホでキャンセル。

沖縄の娘とすでに沖縄入りしている息子にもLINE。

妻にもこの異常事態を伝え、とりあえず親父の夕食を準備してほしいと連絡。

車に乗せて自宅に帰っても、親父は何かしようとしてもすぐにはできず、やりかけては寝落ちをする。また起きるの繰り返し。

夕食の時も、食べながら寝落ちすると言うような繰り返し。

どっかしんどいとこある?
眠たいの?

尋ねても

しんどいことない
眠たいことない


の繰り返し。

なんとか少し食べさせて離れにある自分の部屋まで両脇を抱えて連れて行きました。

しかし入り口の高さ25センチ位の段差を自力で乗り越えることができません。

頭と手だけが先に着いて足が上がらないので「へ」の字型になって上がろうともがいてます。

まぁ早い話が体操の三点倒立の直前の形

アーーー!ブァーー!

とか叫びながら上がろうとしている姿を見ると

大変申し訳ないが吉本新喜劇を見ているようで笑ってしまいました!


さてそこでなんとか寝かせて、後はどうするか。

この時点でさすがに妻も予定をキャンセル。

さて翌日、妻が朝一に実家に。

ベットで寝ている親父を確認し朝食の準備を。

約40分後私も実家に到着。

寝ている親父を起こして朝食を食べさせようと部屋に入ると!

ベッドと壁の間が何故か開いており、

そこに頭から腰まで挟まったうつぶせの親父の姿が!



マジか!!


2人でベッドに引き上げると意識もあるし話し始める。

どうやら布団を直そうと自分であれこれしているうちに上半身を転落せてしまったようだ。

しかし体が動かない!

これがもし誰もいない時だったら確実に死んでいるだろうって話。

すでに食堂に行くことができないので、寝ている部屋に朝食を運んで食べさせる。

食べるには食べているが、体が左へ左へと傾いて倒れそうになる。

が、本人はそんなことお構いなしに食事を続けている。

もう左側から支えないと座位を保てないような状態になっているのに食べようとしている。

食事後すぐ横になったら、瞬く間に眠りに落ちていった。

その間に私は一人暮らしの父親が入れる施設の相談に出かけました。

母親が入居させてもらっていた施設の責任者の方と緊急の打ち合わせ。

最中に妻から電話

親父が39度の熱を出しているとの事

急いで戻ると、妻に抱きかかえられて体を硬直させた親父が。

赤い顔で薄く目を開けているが白目の状態。

呼吸も荒く問いかけにも反応は薄い。

この時点で救急車の依頼を決意!


そんなこんなで救急隊が到着
約8分で。

今更ながら日本の救急体制はすごいなぁと感動。


しかし我が家の直前までは道が狭く救急車が入らない。

おまけに親父が寝ている離れには急なアップダウンの坂がある。

救急隊員3人がそこを担架で親父を運ぶ。

全然別問題だが天気が良くてよかった。

サイレンの音を聞いて近所の人たちが続々と集まってくる。

人手が足りないので救急隊のバックなどは近所の人たちが運んでくれた。
感謝です!

早速昨日行った病院に搬送をお願いするも救急外来が多く受けられないという。

では、と近隣の大きな病院を当たってもらうが


「救急車が3台順番待ちだそうです」

こんな事は滅多にないのだがと救急隊員も。

最後に少し離れてはいるが1つ病院が受け入れてくれるとの事。

状況は緊迫しているのでその病院でお願いしますと救急車を走らせました。

長くなりすぎました。

この後の事はまた次の機会にいたしますね。


2017年5月5日金曜日

後片付けは大変だ! part2

2回目の遺品整理です。


前半は押し入れ下の段、タンスを中心の整理のお話をしましたがいよいよ本丸です。

実家には約6畳の納戸があり、両サイドに2段ベットのごとく物置が造られております。

その奥にはクローゼットのような洋服掛けもあります。

ここが

開かずの間!

であるわけです。


親父曰く

「あそこに入って片付け始めたら出てこれんぞ!」

「ワシはまったく触っとらんからな」


秘境かよ!!!


布団あり開かずの衣類ケースあり、
収納ボックスあり、
何やらわからない大判の紙袋、
ナイロン袋
段ボールケースその他、

足の踏み場もない!


一応中身を確認しながら、燃えるもの、プラスチック、埋め立てゴミと仕分けします。


今回の整理にあたっては、1つ心に決めていることがあります。


いちいち物品については感情移入せず粛々と処分する


ということです。


ま、とにかくその衣類の多さたるや!!

洋服屋一軒ぐらい簡単にできる位あります。


とはいえ、捨てる前に見つけると面白いものがあります。


なんと私の母子手帳が出てきました。








いやー歴史を感じますね。

裏書きを見ると産後すぐ乳児院に預けられます。



私の両親は共働きで、母親の両親は早く亡くしております。

今のように育休などの制度がない中で、仕事を続けることは大変しんどいことだったに違いありません。

おそらくは苦肉の策で乳児院利用であったと思います。

もちろん私自身の記憶にはありませんが。


それからこんなものも発見しました。


           「御臍帯納器」





中に入っているのは要するに私のへその緒ですね。


今でもこういうことをやるのでしょうか?


その昔は、子供が生きるか死ぬかの大病の時に、へその緒を煎じて飲ませよ

みたいな言い伝えがあったと聞きましたけど。


裏面には生年月日と時間、父母の名前と3,500グラムで帝王切開により生まれると記録があります。


紀南病院で生まれておりますが、その時親父は紀南病院で看護師をしておりました。


後に聞きますと仮死状態で取り出されたとのことです。





それからこういう本も出てきました。
これは一部ですが、親父が現役の時に勉強した教科書みたいです。











ここに見えてるのは徒手検査法、解剖学、整形外科学、看護学ですがまだいっぱいありました。


それからこんな写真が!







これは3,500グラム仮死状態で生まれたベイビーの約10ヶ月後ですね。


いや~~~かわいいね~~~~!


そうしてとっておきの1枚に辿り着きます。






どうです、昭和の匂いがプンプンするでしょう!

ジブリ映画の昭和の感じ!

親父とお袋です。




親父について言えば、洋服に扇子!

普通そこは和装でしょに。

これ微妙だけどだらりと手だけがあるというよりもアクセントになって良いかもしれない。


髪の毛の量も多いな、で、今でも髪は薄くなっていない。


母親について言えば、緊張しているのか顔がカチカチ!


この当時からややぽっちゃり体型!


当時30歳半ばですからね


晩婚ですね。


この頃から約60年が経過しました。


さ、60年分の遺品、あと2回ぐらいはまた集めに行かなければいけないでしょうなぁ。







2017年5月4日木曜日

後片付けは大変だ!!

4月16日に母親が亡くなって、いろいろの届けや申請等でバタバタしてるうちに3週間近くが過ぎ去ってしまいました。

5月の連休に入って実家の母親の所持品や衣類などを整理しようと取り組み始めました。

まぁ、相当手がかかるのはざっと見ただけでも分かっていました。

戦中戦後を過ごしているので、なんでもかんでも一応大事に「保管」しております。

「そりゃお前、どんだけゴミがあるかわからんぞ!」

「えらいことになるぞ!」
と親父も。


とりあえずを押し入れの下からスタート!!

壊れた電気あんか4個

黄色くなって使わなくなったたくさんのシーツ

無造作に買い物袋に詰められた膨大な量の衣類

何のために使うのかわからないハギレの袋

膨大なビニール袋などなど。


何かわからない虫の死骸、蜘蛛の抜け殻、おそらくゴキブリのフンと思われるたくさんの顆粒状の物体!



やっぱり想像通りや!



しかしそこにはもう一つ信じれない生き物の亡骸が!


それは・・


よくよく観察すれば


ワーーーオ


なにこれ??


ん?




??


カッ カッ、


カ??


カニ!!


確かに実家の周りには石垣があり、雨も多く湿度が高いことからカニが生息しております。


とは言え、こいつは大変なところで遭難したようです。


何かの縁でやっとお前も成仏できるのお!


心の中で声をかけました!


ま、とにかく遺品整理というパンドラの箱を開けてしまったのです!!


瞬く間に燃えるゴミ大判袋がパンパンに膨らんだ状態で10個と埋め立てゴミの袋が2つになりました。


さて次はタンスの番です。

2つあります。


どこのご家庭でもそうかもしれませんが、ご婦人用のタンスにはびっしりと隙間なく洋服がかかっております。

こんな田舎の母親のタンスもそうです。

一着を取り出そうとしても、前後に挟まって出てこない!

ハンガーをはずしてもズリ落ちない!


だけでなく、掛ける余裕が無いので、
その他のあまり注目されない服たちはその下にまるで地層のように重ねて「保管」されております。


さすがにここからはカニは出ないでしょうけど(笑




長い間教員をしていたので、特に礼服がたくさん。

学校ではいろんな行事が多いですからね。

それと考えられるのは、体型の変化がこれらを生み出したと言う事。


人生最後の方では35キロ程度だったのですが、若い頃はバンバン太っていって絶頂期はコロコロでしたから。


片付けながら変な汗が出てきましたね。

(何日で終わるだろうか??)




しかも強烈な衣類の虫除けの匂いが!


3年間の母親の留守を預かった親父が、虫除けだけはしつこく入れていたのです。


しかもそれにはポリシーがあって、虫除けは臭くないとダメって、どうよ!


要するに昔の臭い臭い虫除けのみを使用しているわけでございます!

しかも、衣類が隠れるほどタンスに敷き詰めているわけでございまして。


作業してても涙が出る位。


これ下手したら虫じゃなくて人間も危ないぜ!


この辺で使用していたぴったりフィットの使い捨てゴム手袋が破れる。


軍手に変えてさらにチャレンジ。


何とか1つのタンスを処理して隣に。


これは上半分は親父が使っていたものだが、親父も立ち会い衣類を確認してきました。


親父の新品のネクタイやらポロシャツも発見!

最近認知症が少し進んでいるため、これらについては全く記憶がないと話します。


そこで50センチ四角のビニール袋に入った謎の薄い段ボールを発見。


中を確認してみると、


この間ずっと欲しかったものが!!


実は母親の葬儀の準備で、葬儀屋さんから1番最初に尋ねられたのが


「お母様のお写真ございますか?」
でした。


今の年齢からあまりにも若すぎてもおかしいし、直前ではあまりにも写真映えしない老人顔になっています。


お通夜の段階では既に飾っておかねばいけないため急ぐのでしょう。


幸い、ケアハウスに入所するときに携帯で撮っていたものが保管されていたのでそれを使用しました。


ところが親父の写真を探してみても、難しい顔をしているものばかり。




そろそろ写真も準備しないといけないなぁと思っていた矢先!


恐らく7〜8年前、地元で開業しその後すぐに京都のほうに移転した写真館で撮ったであろう大きな写真が見つかったのです!!


選挙用のポスターみたいにきれいに撮れています!!


「ワシはこんなもん撮った覚えがない」


まあこんな調子です。


そんな事はどうでもいい!


こちらとしてはきたるべき時に必要なアイテムを手にいれたので大喜び!


これって何やろうね〜


ちょっとでも準備を進めてやろうという母親の何かかな?


親父の写真を母親の遺影の横に並べて


「ほらな、うまく釣り合うやん!」
と親父に言うと


「ホンマやなぁ!」

と(笑


これなんちゅう会話やねん!


しかしこの後もゴミの山からお宝の発見は続くことになるのです。


後半に続く!!